自分の捉えたいように「決める」

2021.10.05.

「決める」ことは得意ですか?

私はとても苦手。。

あっちもいい、こっちもいい、じゃ揺られながら進みながら決めようかという感じ。



決めたとしても、打算が働いたり、決めることに証拠集めをしたりする。

そうそう、意外に計算しているのだと思う。笑



今日は、ヨガに来てくださる方とお話をしていて今、自分なりに気づいたことを書きます。

よって、文献になっているものでないし、個人的な解釈だし、抽象的なんだけど悪しからず。



『物事は好きなように決めていいんだよ。

地球上の何かしらの物、一つのものに対して二つの情報がある。

例えば、パートナーが浮気しているかもしれない。

探偵を雇って、ホテルに入った写真の証拠はあるけれど、部屋でのことは本当のことはわからない。

裁判を起こして、事実を追求したり、争うこともあるだろう。

でも、パートナーが浮気しているかしてないかは自分で決めればいいということ。』



うぅ~ん、これは目から鱗であった。

そうなんだよ、それだよそれ。

だって、今生きているのはこの私の体とマインドなんだもんね。

その私の考えだって、好きなように選択している結果でしかないんだよね。

物事の答えは誰にもわからないし、知らない。

どちらを取るかは自分次第!



例えば、これから、何か新しいことを始めようと思っている。

分かりやすくするために、正社員を辞めて事業を始める、に設定しよう。



みんな(みんなって誰?1,2人だよね?)に、成功しないしやめた方がいいって言われる。

そんなの無理だよとか、正社員でいた方が給料も安定してるしいいよとか。

そうそう、それもその人を思いやって言ってることもあるし、ヤンヤン言いたい人だけの人もいると思う。



でも、それを一番に決めているのは言っている本人なんだ。



自分にとって、何が良かったのか、始めようとすることがうまくいく!と勝手に設定すればいいことなんだよね。



個人的な問題ですが、

やはりここでも、パートナーのことが決められない。笑



「この人で良かったのだろうか」


この人でよい、と決めること。。


(決められる日が来るのか!?)


全ての結果を自分で決めていいということ。

毎日の生活の中で都度、それを決める。

この積み重ねで、生きていくだけで毎日の充足感は変わってくると思う。

それが死ぬ直前に思う「あぁ、いい人生だったぁ。」と後悔せずに死ねる秘訣のようにも思える。

(死を体験するWSを定期開催してるので死に関することに敏感です。)



まず、今あるものは自分で選択しているということ。



少し面倒だなと思う仕事。

イライラする旦那さん。

義理の母との同居など。

それらの結果は全て自分で決めているということ。



仕事は楽しい。

旦那で良かった。

義理の母との同居は最高だ。



うぅ、苦しい、無理があると思えば

選択を変えたらいいよね。



私はもう少し、「この旦那で良いのだ」と思えるくらいに決める練習をしようと思う。笑

私には、都度「決める練習」がしばらく必要そうである。