「おっぱい」の重たい蓋
私はおっぱいが大きい。
これは小学校から。
![](https://ananda-kulam.com/wp-content/uploads/2022/02/S__29278264.jpg)
小学校の頃、走ればおっぱいは揺れ、男子にからかわれた。
近所のおじさんからは、両手で揉まれた。
中学校になった時、教頭先生から触られた。
OL時代は、取締役からもそれについて言われたし、
展示会でお客さんからもつっこまれた。
29歳の時インドで少年に鷲掴みされたけど、相手は高校生くらいの子だから許してる。w
![](https://ananda-kulam.com/wp-content/uploads/2022/02/S__29278263.jpg)
この事は誰にも言っちゃいけないと思ったし、
たかがおっぱい揉まれたくらいと思って蓋をしてきた。
私より、もっと辛い人はいるし、
「大した事ない」と言い聞かせ自分の感情、思考に蓋をした。
でも、いまだにそのシチュエーションは鮮明に思い浮かぶ。
そのせいか私はストレートに生きてきた。
ここでいうストレートとは、体の曲線を見せずに、おっぱいを潰して洋服をきて
「男らしい」という言葉をもらうように行動してきたこと。
もちろん、気質的にがさつで大雑把ということもあるけれど。w
先日受けたタントラ系の瞑想で、重い蓋は空いた。
「あぁ、私は自分のまぁるいおっぱいが好きだ。憎らしい贅肉だと思ってた丸みがある肩や腰回り、太ももも女性らしくていいじゃないっ。私が私を女性として愛してなかった。あぁ、私は女性として生きたいんだぁ。」と涙が溢れた。
今、私は自分の女性性を育てることをテーマにしていて、これについてはまた書きたい。
ここまでに至った経緯を簡単にまとめたい。
「私の経験なんて、大したことない。もっと苦労している人はいる。」
約25年近く、自分の感情に蓋をしてきた。
たかが、おっぱいを触られたくらいで、
私の経験なんて、大したことないし、もっと酷い目にあってる方もいると。
自分の癒しやトラウマと向き合う時に大切な事は、他人の辛い出来事と比較をしない事。
どっちが辛い、どっちが幸せという競争は終わりにする事。
またどんなに人から「大丈夫だよ」という言葉をもらっても
心の奥では絶対に納得いっていないはず。
もちろん一時的にやり過ごすことはできるから救われることもあるけどね。
でも、自分が気づいて、絡んだ、複雑にもつれた糸をそっとほぐすように
してあげなければ根本的には何も変わらない。
![](https://ananda-kulam.com/wp-content/uploads/2022/02/S__29278261.jpg)
今回の傷ついてることを見過ごしていたけど癒しに至るステップを書いておこう。
1、蓋を開ける。
時間と共に一瞬で通りすぎ、やり過ごしてしまったことに
蓋をしている事ないですか?
それは最近のことでも、半年前のことでも、何十年も前のことでも。
よく「そんな昔のこと言ってても・・・」という言葉を聞くけれども、
そう言ったことが実は今だに解決されない大きな課題だったりする。
例えば、
親から言われたあの一言。
パートナーや上司から言われたあの一言。
一瞬やひと時の出来事。
モヤモヤしたり、フラッシュバックみたいに光景や言葉が出てくるときはないだろうか。
無理やり蓋をあける必要もない。
でも、ふとした瞬間、開く時はやってくる。
その瞬間を見逃さないのも大切。
だから定期的に、ジャーナルをつける事、自己と繋がる時間は大切だ。
きっと誰も悪くない、相手も私も。
(相手は悪気はあったかもしれないし、なかったかもしれない。そこはあまり関係ないと思う。)
その蓋をあけることが出来たなら、そっと取り出そう。
2、人と比べない。
これも大切。
私たちは競争社会で生きてきた。テストの点数、受験、出世など。
いつも誰かと比べて自己の成長を促してきたはず。
でも自分の自己探求は全く不必要で、それが障害となることもある。
3、感情と繋がる
蓋をしていた時の感情を表現する。
これは、NVC(非暴力コミュニケーション)の1つのステップ。
きっと蓋をしてきた事柄って、心がフリーズし静止してしまった時やうまく心を表現できなかった時でないかと思う。
もっともっと感情とつながって欲しい。
NVCを考案したマーシャル氏はこう言う。
自分の感情を表現するには、漠然とした言葉や一般的な表現を使うのではなく、特定の気持ちを示す言葉を使う方がわかりやすい。
『NVC 人と人との関係に命を吹き込む法』マーシャル・B・ローゼンバーグ
またこちらの本には感情表現のリストが付いている。
私は、おっぱい事件で感じた感情をいくつかピックアップした。
- いても立ってもいられない。
- 懐疑的。
- 恐怖。
- 困惑。
- うんざり。
- 気が動転。
おじさんにおっぱいを触られ、私はいても立ってもいられず、失望する。
頼れる大人が誰もいなかったので誰にも言えなかったし、感情を殺した。
おじさんという存在に懐疑的になった。
またおっぱいを見られたくないし、触られたくない、おじさんから突っ込まれたくないから
スポブラで潰しながら数十年過ごした。
4、共感してもらう
これもNVCの1つのステップだけど、
25人弱くらいのほぼ初めましての方の前でこのことをシェアした。
そしたらナビゲーターは共感してくれて、
勇気を出してシェアしてくれてありがとう、って言ってくれた。
私は誰かに聞いてもらい、共感してくれて、拍手してくださる方がいて、
それがとても救いとなり、癒しとなった。
5、「これからどうしたいのか」
自分がどうしたいのか。
ここからは、自分の心の奥にある想いを自由に表現しよう。
親から言われた言葉、メディアの言葉は置き、自分と繋がってからね。
私は女性として生きたいということに気づいた。
「大したことでない」かもしれない、
「あんな大昔のことなんて・・・」と思っているけど、実は重たい重たい蓋があるかもしれない。
それを外してあげるのは、自分だけ。
そっと、優しくね。