自分の捉えたいように「決める」
「決める」ことは得意ですか?
私はとても苦手。。
あっちもいい、こっちもいい、じゃ揺られながら進みながら決めようかという感じ。
決めたとしても、打算が働いたり、決めることに証拠集めをしたりする。
そうそう、意外に計算しているのだと思う。笑
今日は、ヨガに来てくださる方とお話をしていて今、自分なりに気づいたことを書きます。
よって、文献になっているものでないし、個人的な解釈だし、抽象的なんだけど悪しからず。
『物事は好きなように決めていいんだよ。
地球上の何かしらの物、一つのものに対して二つの情報がある。
例えば、パートナーが浮気しているかもしれない。
探偵を雇って、ホテルに入った写真の証拠はあるけれど、部屋でのことは本当のことはわからない。
裁判を起こして、事実を追求したり、争うこともあるだろう。
でも、パートナーが浮気しているかしてないかは自分で決めればいいということ。』
うぅ~ん、これは目から鱗であった。
そうなんだよ、それだよそれ。
だって、今生きているのはこの私の体とマインドなんだもんね。
その私の考えだって、好きなように選択している結果でしかないんだよね。
物事の答えは誰にもわからないし、知らない。
どちらを取るかは自分次第!
例えば、これから、何か新しいことを始めようと思っている。
分かりやすくするために、正社員を辞めて事業を始める、に設定しよう。
みんな(みんなって誰?1,2人だよね?)に、成功しないしやめた方がいいって言われる。
そんなの無理だよとか、正社員でいた方が給料も安定してるしいいよとか。
そうそう、それもその人を思いやって言ってることもあるし、ヤンヤン言いたい人だけの人もいると思う。
でも、それを一番に決めているのは言っている本人なんだ。
自分にとって、何が良かったのか、始めようとすることがうまくいく!と勝手に設定すればいいことなんだよね。
個人的な問題ですが、
やはりここでも、パートナーのことが決められない。笑
「この人で良かったのだろうか」
この人でよい、と決めること。。
(決められる日が来るのか!?)
全ての結果を自分で決めていいということ。
毎日の生活の中で都度、それを決める。
この積み重ねで、生きていくだけで毎日の充足感は変わってくると思う。
それが死ぬ直前に思う「あぁ、いい人生だったぁ。」と後悔せずに死ねる秘訣のようにも思える。
(死を体験するWSを定期開催してるので死に関することに敏感です。)
まず、今あるものは自分で選択しているということ。
少し面倒だなと思う仕事。
イライラする旦那さん。
義理の母との同居など。
それらの結果は全て自分で決めているということ。
仕事は楽しい。
旦那で良かった。
義理の母との同居は最高だ。
うぅ、苦しい、無理があると思えば
選択を変えたらいいよね。
私はもう少し、「この旦那で良いのだ」と思えるくらいに決める練習をしようと思う。笑
私には、都度「決める練習」がしばらく必要そうである。